The Pains of Being Pure at Heartと私

「青春の」という言葉のうしろには、「きらめき」といったプラスイメージの言葉も、「痛み」といったマイナスイメージの言葉も違和感なく付け加えることができる。このことが端的に示すのは、「青春」とはそれ自体、プラスとマイナスの両極に引き裂かれるような、両義性に満ちた概念であるということだろう。

アメリカのインディー・ロックバンドThe Pains of Being Pure at Heartが2009年に発表したセルフタイトルのアルバムを、はじめて聴いたのは14歳の冬のことだった。CDをミニコンポにセットし、再生ボタンを押して1曲目「Contender」の粗いギター・ノイズが流れてきた瞬間から、21歳になったいまに至るまで、わたしはずっとこのアルバムのなかに閉じ込められている。

The Pains of Being Pure at Heartは青春の両義性に痛いほど自覚的であった。それは、

“Strange teenager, waiting for death at 19” 19歳で死ぬのを待つ、不思議なティーンエイジャー
“I’m with you and there’s nothing left to do” 君と居ると、他に何もすることなんてないんだ

──「Everything With You」より

という歌詞がひとつの曲に共存することからも理解される。青春の「きらめき」だけを取り上げることは虚構にすぎないが、青春の「痛み」だけを取り上げることも同程度に欺瞞(ぎまん)である。

だからこそ、狂ったように毎晩、このアルバムを聴きつづけた。
思春期特有の、「わたしを理解して」と「簡単にわたしをわかったような気にならないで」の間で揺れ動く、青臭い感覚を全て彼らが包み込んでくれる気がしていた。
後にも先にも、あれほどまでに一枚のアルバムに感情移入したことはおそらくないだろう。わたしはその年の夏、所属していた部活動を辞めて、ギターを買った。

ところで、「青春」のもうひとつの本質は、それはいつか終わる、ということである。

彼らはこのアルバムの後、幾つかのEPと2枚のアルバムをリリースして、着実にステップアップを遂げた。強度を増したソング・ライティングと、整ったプロダクションは彼らをもう一段高いレベルに導いたことは間違いない。
しかし、そこにファースト・アルバムほどの思い入れを感じることはできなかった。それは、彼らが大人になったからかもしれないし、わたしが大人になったからかもしれないし、あるいはその両方かもしれない。

だけど、まだ、彼らのこのアルバムに代わる1枚をまだ見つけられていないし、見つかりそうもないし、これからもこれを何千回と聴き直すことになるのだろう。

このアルバムの国内盤のライナーノーツにはバンドのヴォーカリスト、キップ・バーマンのこんな言葉が引用されている。「僕らは永遠のティーンエイジャーなんだよ」。

わたしもまた、そうであったらいいと思う。