ティーンエイジャーを卒業するとき

 

2月2日、わたしはとうとう人生の半分を共にしてきた10代を卒業することになった。
16歳から17歳になるような感覚とは違って20歳を迎えることが憂鬱でしかなかった。慣れ親しんできた10代を卒業してティーンエイジャーではなくなってしまうこと、成人、大人の仲間入りすることが怖かったし準備ができてなかった。

10代は「Inbetween (中間)」として大人でもなく子どもでもないある程度の自由はあるけど、困ったときにはまだ若いからと許されるような守られている心地よさがあった。20歳には10代の頃に はなかったような責任が増えるような気がして「まだ10代だから」ではもう許されなくなることが嫌だった。10代という響きだけでそこにはなにか特別なキラキラしたものがあると思う。10代の悩み、10代の日記、10代が書いた本。10代真っ只中には気付かなかった10代のその特別さを失って、今度は自分がその輝きを傍観し懐かしむようになると思うととてつもなく寂しかった。
あと青春映画が同じ目線で見れなくなることが寂しかった。『ミニー・ゲッツの秘密』を見たとき、ミニーを心配している自分に気づいて「もうミニーと同じ目線にはいないんだ」って実感した。 高校が舞台の作品を観ても、「そっか、もう高校生じゃないんだ」ってあっという間に年月が経っていくことにびっくりした。
それにもう20歳になったのに、中学生のころ自分も『SKINS』 みたいな経験を高校になったらするんだと思っていたようなこと一つも経験してない。ただただ 真面目に終電には絶対に家に帰っている自分を思うと、映画やドラマの見過ぎかもしれないけれ ど10代で大して冒険してないなと思う。高校からの友だちが大学生になってからナイトライフをエンジョイしてることを聞いたりすると余計に自分はつまらない人生送っているんじゃないかと考え込んだりもする。

2月2日に自分自身や周りの物事がガラッと変わりはしなかった。まだお菓子のゴミを食べたままほったらかしにして親に怒られるし、家族の前ではまだ一人称が 自分の名前…なにを契機に家族の前で変えればいいのかもわからないし。でも友だちの前でぽろっと「わたし」じゃなくて「まき」って言っちゃうときすごく恥ずかしいよね。
でも20歳になっていきなりというよりは19歳くらいからじわじわとだけど気づいてきたことや変化したことがたくさんある。
まず親が絶対的な存在ではなくなること。周りにはもう親になってる子もいて自分みたいな人間が誰かと結婚して子育てするのかなと考えると立派な家庭も子どもも育てられないように感じるようになった。同時にだからこそ自分の親も私と大して変わらないんだなって感じる。今までは自分の家庭は問題が多くて他の家庭と違っているのだとコンプレックスに感じていたけど、どの家も完璧じゃないことに気づ いて開き直れるようになった。完璧である方が難しいと思う。
それから自分自身についても、周りについても大して悩まなくなったこと。これは中高生だった 頃の自分を思うと大きな変化!わたしはこんな人間だから…あの子はこうなのに…て高校生くら いまで毎日考えてどうしようもなく落ち込んでたのに、それを考える暇がないくらい他にやらないといけないことが増えたし、考えること自体が面倒になった。私はわたし、他人は他人って考えられるようになって自分で自分を苦しめなくなった分、少し図々しくなったような気もする。そうやって考えられるようになったからか周りにもあまり期待しなくなった。すごく憧れてた人に実際会ってみたら「あれ?なんか違う?」ってがっかりするような経験も何回かして結局みんな理想とは異なって完璧じゃないことがよく分かった。だから「誰もわたしを分かってくれない」とか「誰もわたしを本当に愛してくれない」って高校生まで嘆いてたけどもう吹っ切れた。

まだ10代を卒業して大して経っていないし、30歳、40歳になったら自分の中での10代や20代に対する考えも変わってくるだろうけど、今は「なぁ~んだ。20歳ってこんなもんか」って気持ち。 お酒は飲めるようになったし、年金手帳の申し込みもしたし、クラブにも行ける歳になったわけだけど大して自分が大人になったとは思えない。自分が思い描いてた20歳はもっと大人ぽくて色々な人生経験を積んできてるものだったから。でも思えば小学生のころは中学生がすごくお兄さんお姉さんに見えてたし、高校生なんて大人過ぎて少し怖いくらいだった。実際になってみればこれから先の30代も40代もどうってことないのかもしれない。

 

 

 

 

 

Writer's Profile

Maki
メリッサ・マッカーシーとベン・ファルコ―ン夫婦に憧れる大学生
生まれ変わったらサンフランシスコのTartine Bakeryでバリスタになりたい。