おおきくてちいさい、一瞬であり永遠の。

一つはおおきくて、もう一つはちいさなこと。
一つは生と死を分けるようなもので、もう一つは生と死が寄り添っているようなもの。
いや、もしかしたらその二つは表裏一体なのかもしれない。それはまるで、蕾の中で頭と腕と足を寄り添わせて待っていた、
ゆっくりとおおきく踊り始めるその瞬間。一瞬であり、永遠の。

【おおきな】
子どもの頃、死ぬなんて思ってなかった。それはもっともっと果てしなく遠くにあるものだと信じていたから。
その日もいつも通り、母と妹とまだ赤ん坊の弟とよく行くお店に向かっていた。
やがて小麦色に染まる田んぼ道は、まだ新緑の色をしていた。次にわたしがこの身体を携えた「わたし」に気づいたのは、全てが終わってからだった。
それが起こっている間、頭の中は起こるはずのない出来事と、足が宙に浮いているという有り得ない状況を理解できないまま、それまで生きてきた一つ一つの記憶と残像で溢れかえっていた。全てが終わった後、事故という出来事そのものへの恐怖で、わたしは泣いた。その恐怖が消えた頃、もう一つの恐怖と事実を知った。
そう、死ぬということ。
もしかしたら、愛する家族と共に死んでいたかもしれないという恐怖。だいすきな人たちに会えなくなるという恐怖。私という概念が消えてしまうかもしれないという恐怖。
たくさんの恐怖に覆われて、死は恐ろしいものでしかなくなった。
そうだ、愛することをやめよう。
だって失いたくないから。

でも、そんな人生は楽しいの?そもそも死なないようにするには、どうしたらいいのだろう?生きるのをやめても、死ぬのは一緒。暗闇で世界が覆われる時間になると、ベットの中ではそんな迷走が繰り広げられる。結局、生きているものは死ぬ。これは事実だ。でも、わたしは今生きている。これも事実だ。生きているから、誰かを愛したり、美しいものを見ることができる。死というものを知った時(受け入れようと思った時という方が良いかもしれない)、生きていると感じた。
遠く遠くにあるはずのものが、突然隣に現れて、世界を押し広げてしまった。それは、月が小さな球体なんかではなく、地球に空いた小さな穴から少しだけ顔を覗かせているだけだというくらい、近くておおきかった。

【ちいさな】
わたしは昼休みになると、家に帰る。このお昼の一時間が、わたしのちいさな孵化の時間。海へと続く川を横目に、自転車を走らせる。玄関を開け、階段を登り、大きな窓の向こう側を迎え入れる。
さあ、空よ、雲よ、太陽よ。そんな大げさなセリフを、ひとり心のなかで唱えたりして、この部屋で小さな孵化をはじめよう。
冬の寒さに染み渡る陽光をなぞるように。始まりも終わりも無くて、過去も未来も無い。ただ「大丈夫」っていう言葉だけが漂う、ほんのささいな、でも無くなってしまうと何かが狂ってしまう時間。一瞬なのか永遠なのか。
そうしてちいさな孵化が終わったら、大きな窓にふたをする。また明日、太陽が地平線から顔を出すそのときまで。

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